略称:狭山人権の会
狭山事件と人権を考える茨城の会


狭山事件とは



 1963(昭38)年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生・中田善枝さん(当時16歳)が誘拐される事件が起きました。警察は身代金を取りに来た犯人を取り逃がし、善枝さんは4日後に死体で発見されました。

 世論の大きな非難を浴びた警察は、市内の被差別部落に捜査を集中し、何の根拠もなく5月23日、石川一雄さんを別件逮捕。石川さんは一ヶ月にわたって否認し続けましたが、警察や検察は「お前がやったと言わなければ兄を逮捕する」「否認し続けるなら殺して埋めてやる」「やったと言えば10年で出してやる」などの拷問と誘導でウソの「自白」を強要したのです。

 一審の浦和地裁では、わずか半年のスピード審理でで死刑判決。二審の冒頭に自分がだまされたことに気づいた石川さんは「私はやっていない」と無実の叫びをあげ、石川さんを支援する運動は全国的に広がりました。しかし二審の東京高裁・寺尾判決は無期懲役。石川さんは31年7ヶ月の獄中生活の後、1994年に仮出獄しました。以来52年間、無実を訴え続けています。

 現在、3回目の再審を東京高裁に請求しています、検察は多くの証拠を隠し持ったままで、東京高裁(河合裁判長)も事実調べをしようとはしていません。


不当逮捕される石川一雄さん

(1963年5月23日 当時24歳)