略称:狭山人権の会

狭山事件と人権を考える茨城の会

無実の証拠



1,万年筆は被害者のものではなく、警察が仕組んだものである(インクの違い)
2,脅迫状は石川さんの書いたものではない
3,殺害方法は「自白」と矛盾する絞殺である
4,手拭いをめぐる警察の証拠ねつ造
5,石川さんの指紋がまったくない
6,現場の足跡は、石川さんのものではない







 1,万年筆は被害者のものではなく、警察が仕組んだものである
   (インクの違い)


 判決によれば、石川さんは事件の数日前に自宅にあったボールペンで脅迫状を作成して持ち歩き、5月1日、被害者の中田善枝さんを殺害し、そのカバンの中にあった筆箱から万年筆を取り出し、それで脅迫状を訂正した後、その善枝さんの万年筆は自宅に持ち帰って、カモイの上に隠しておいた。そしてこの万年筆が3度目の家宅捜索の時に、カモイの上から見つかった、とされ、有罪判決の有力な物証とされました。
 しかし、この万年筆は善枝さんのものではありません。万年筆の存在は、逆に石川さんの無実と、警察による証拠のねつ造を証明するものです。

(1)発見された万年筆のインクは、被害者のものと違う

 石川さん宅のカモイの上から発見された万年筆のインクは、「ブルーブラック」という濃い青色。しかし善枝さんが事件当日の5月1日まで使っていた万年筆のインクは、「ライトブルー」という明るい青色で、まったく違うものでした。それなら、常識的には、「この万年筆は被害者のもでのはない」となるはずです。

 それでは判決はどのようにしてこの万年筆が善枝さんのものだとしたのでしょうか。

@善枝さんが学校で級友から借りたか、学校帰りに立ち寄った郵便局で、ブルーブラックのインクを補充した可能性があるという、何の根拠もない憶測です。

  【第1次再審・棄却決定】
    「友人からインクの借用補充とともに、同郵便局で万年筆のインクを補充したという推測を容れる余地も残
されていないとは言えない」


  【第2次再審・棄却決定】
    「本件万年筆に、ブルーブラックのインクが補充された可能性がないわけではない」

 このように回りくどい言い方は裁判所の自信のなさを表していますが、「可能性がないとはいえない」と言われたら、どんな人でも犯人にされてしまいます。「善枝さんがブルーブラックのインクを補充した」ということを、証拠に基づいて証明するのが検察や裁判所の職務なのに、あらかじめ石川さんを犯人と決めつけて、可能性と憶測で逃げているのです。
 またこの万年筆は、内部がスポイト式になっており、当日にインクを補充したとすれば善枝さんの指紋がついているはずですが、それもありませんでした。

 これが、最も新しい第2次再審・特別棄却決定(2005年)では、さらに裁判所の居直りは強まって、被害者だけでなく、石川さん自身がブルーブラックインクを持ち歩いていて、入れ替えた可能性があるなどというメチャクチャなことまで言い出しました。

  【第2次再審・特別棄却決定】
    「被害者または万年筆やインクと無縁ではない申立人(石川さん)によって本件万年筆にブルーブラックのイ
    ンクが補充された可能性がある以上、本件万年筆が被害者の万年筆ではない疑いがあるとはいえない」


 Aもう一つは、被害者の兄・中田健司が、石川さん宅から発見された万年筆が「妹のものだ」と証言していることです。
 しかしこの証言は、実にアイマイなものです。

  【二審・第61回公判での証言】
  (弁護人)この万年筆は善枝さんのものにまちがいありませんか。
  (健司)  はい、間違いないと思います。

  (弁護人)その万年筆を、あなたはお使いになったことがあったようですね。
  (健司)  はい。帳面整理するのに使った記憶があります。帳簿の整理にですね。

  (弁護人)鑑定書によりますと、使用程度の非常に少ないものだと出ているんですけど、その万年筆について、どういう 
       点が善枝のものに間違いないとおっしゃる根拠になるんでしょうか。確信をもっておっしゃるような特徴があるわ 
       けですか、この万年筆に。
  (健司) ただ色とペン先の外見です。

  (弁護人)いや、ペン先はあなたはたくさん使ったとおっしゃっているし、鑑定によるとほとんど使った形跡がないことになっ
        ているもので、改めて聞いているのですが。
  (健司)  …。

  (弁護人)外見と感じですか。
  (健司)  そうです。相当使ったと言うほどでもないです。




(発見された万年筆)



(2)インクビンが開示された。インク成分の科学的鑑定を

@2013年7月26日、第14回三者協議で、検察が持っていた次の証拠物が開示されました。
  1)被害者の善枝さんが使用していたインクビン
  2)狭山郵便局備え付けのインク
  3)善枝さんの級友のインクビン

A石川さん宅から発見された万年筆と、脅迫状や封筒に残された万年筆の訂正文字、そして今回開示されたこれらのインクの成分を科学的に分析・比較すれば、万年筆のインクは補充されたものかどうか、脅迫状の訂正文字がこれらの補充されたインクで書かれたものかどうかが明らかになるはずです。その鑑定=事実調べをすべきです。
 
・事件当時、科警研の技官による荏原鑑定が行われていました(これを検察は、2審の終盤まで隠していた)。荏原第1鑑定では、発見された万年筆のインクと、被害者宅のインクビンや善枝さんの日記帳に書かれた文字のインクは「異質のもの」と鑑定されていました。
 また荏原第2鑑定では、発見された万年筆のインクと、級友のインクや狭山郵便局のインクは「類似のものと思われる」とされていました。

・第2審の中で、脅迫状を書くのに使われたボールペンや万年筆のインクを鑑定するべく、東大名誉教授の秋谷鑑定が行われました。秋谷鑑定では、「脅迫状はボールペンで書かれているが、訂正箇所はペンまたは万年筆が使われている。しかし本件万年筆かそれ以外の万年筆を使用したかは判定できない」というものでした。

・荏原鑑定(1963年)の時点で、万年筆の中には液状のインクは残っておらず、ペン先を少量の水の中に入れ、吸入装置をくり返し動かして、内部に付着しているインクの色素を溶出し、次にはエチルアルコールの中にこのペン先を入れてインクの色素を完全に溶出した、とされています。したがって、現在の万年筆の中には、もうインクが残っていない可能性があります。
 秋谷鑑定(1972年)では、鑑定人は万年遺筆の中のインクは「かわいちゃって、ごく微量で、科学的・物理的処理をしようとしても、もうどうにもならない状態」だと言っています。

・このような経過を考えると、今から新しい鑑定はできない状態かも知れません。しかし科学技術は大きく進歩しており、ごくごく微量でもインクが残存していれば、鑑定はできるのではないでしょうか。
 万年筆の中のインクは、判決どおりだとすれば、1)被害者の善枝さんが使用していたインクビンのインクと、2)狭山郵便局備え付けのインク または 3)善枝さんの級友のインクビンのインクとが混合しているはずであり、そのような成分が分析されなくてはならないはずです。
 憶測や裁判官の主観で片づけることのできない、このインク成分の科学的分析=事実調べを、ぜひともやるべきです。


(3)カモイの上は「見えにくい」のか、「見えやすい」のか

@万年筆をめぐるもう一つの大きな争点は、発見された石川さん宅の勝手口のカモイの上は、だれが見てもすぐに見える場所にありながら、2度の徹底した家宅捜索で見つからず、「自白」後の3回目の捜査ですぐに見つかるという、あからさまな証拠ねつ造です。
 これは現地調査に行った人ならば、だれでも実感することです。

A判決では、現場検証をした1審判決だけは、さすがに「見えやすい場所」(しかしそれだけにかえって見落とした)とせざるをえませんでした。しかし2審以降、現地に行かない裁判官達は、「見えにくい場所」などと恥ずかしげもなく書いています。

    

     (石川さん宅を家宅捜索する捜査員)              (このカモイの上から万年筆が出てきた)



      (万年筆を兄の六さんに素手で取らせた)


(4)万年筆の存在は、証拠のねつ造であり権力犯罪をしめす

 これまで見てきたように、万年筆は被害者のものではありません。それが石川さん宅から出てきたということは、警察がそれをねつ造した以外にはありません。「見落とした」とか「捜査がずさんだった」などいう問題ではないのです。
 袴田事件での「血のついた衣類」と同じように、警察は犯人に仕立てるためには、このような恐るべき権力犯罪を行うということです。絶対に許すことができません。

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 2,脅迫状は石川さんの書いたものではない


(1)だれでも分かる筆跡の違い

 狭山事件で犯人が残した唯一の物証が、脅迫状です。「脅迫状の文字は石川一雄の文字と一致する、脅迫状は石川が作成したものだ」という認定は、有罪判決を支える中心となっています。
 しかし脅迫状の文字と石川さんの文字がまったく違うことは、だれが見ても明らかです。



【脅迫状】


わざと当て字が多く使われているが、流れるような書体で、字を書き慣れている。句読点も正しく打たれ、強調する部分は大文字になっている。








【石川さんが逮捕前の5月21日に書かされた上申書】

 字を書き慣れていないので、全体に右下がりとなり、どの文字も筆が流れずに止まっている。読点はなく、1ヶ所ある句点も間違っている。「一雄」が書けないので「一夫」となっている。






【石川さんが逮捕当日の5月23日に書かされた上申書】


検察が隠し持っていて、2010年5月13日、47年ぶりに開示された。








【石川さんが逮捕後に書かされた脅迫状の写し】


石川さんは逮捕されたあと、毎日脅迫状を見せられながら、その写しを書く練習をさせられた。







   
                【脅迫状の文字】               【石川さんの文字】


(時)


              




(ま)


                             




(も)


                     




(20万円)

              

                                       



【石川さんの文字】

          (池)                     (夜)                    (間)
        





(2)判決は、「筆跡は一致する」から「気分や状態で筆跡は違って当然」と変わって居直る

@事件当日の5月1日、中田家に脅迫状が届けられ、警察は近くの被差別部落に集中的な見込み捜査を集中させていきます。そして部落の青年120名にアリバイの「上申書」を書かせますが、これは実は筆跡鑑定のためでした。
 5月22日、警察は石川一雄さんの上申書と脅迫状の筆跡の鑑定を、埼玉県警本部鑑識課と科警研に依頼します。その結果、埼玉県警本部鑑識課は、6月1日「同一の筆跡である」(関根・吉田鑑定)、科警研も6月10日、「同一人のものと認められる」(長野鑑定)とされました。上の写真のどこをどう見たら「同一」などと言えるのでしょうか。同じ警察内で、あらかじめ結論ありきの「鑑定」でした。

 さらに許せないのは、この「鑑定結果」が出る前、何と鑑定を依頼した当日の5月22日には、筆跡が同じだとして警察は石川さんへの逮捕状を請求し、裁判官もただちにそれを認め、石川さんを翌日の23日に逮捕したのです。

 これ以降、裁判の中では、警察側の「関根・吉田鑑定」「長野鑑定」、2審で行われた元科警研の「高村鑑定」の、いわゆる三鑑定は正しいということが有罪の最大の根拠とされます。

  【確定判決(寺尾判決)】
   「(警察側三鑑定の)伝統的筆跡鑑定方法は、これまでの経験の蓄積と専門的知識によって裏付けられた
   ものであって…本件脅迫状及び封筒の文字は被告人の筆跡であることは疑いがない」
                                           
(東京高裁 1974年10月31日)

 
Aしかし第1次再審、第2次再審を通じて、数多くの国語専門学者等から、「脅迫状の筆跡と石川さんの筆跡は違う」という鑑定書が次々と出され、裁判所は追いつめられていきます。そして「筆跡は同一だ」と結論する一方で、次のように言っています。

  【第2次再審・特別抗告棄却決定】
   「同一人が作成する場合であっても…文書作成時の心理状態等により、書字・表記・表現の正誤、巧拙の
   程度も異なりうる」「そもそも、限られた文書の記載のみから、その作成者の書字・表記・表現能力の程度・
   水準を厳密に確定することはできない」「もとより、筆跡鑑定は同筆であることの決め手となるまでのことでは
   ないが、3鑑定の結論は…申立人が犯人であることの一つの有力な状況証拠である」

                                                 (最高裁 2005年3月16日)

Bつまり、「自宅で自由に書いた脅迫状の文字と、警察官の前で緊張しながら書いた上申書では、字体などが違っていても当然だ。それに筆跡鑑定は決め手となるようなものではない」と言っているのです。
 冗談ではありません。これまで「筆跡が同一だとした警察側三鑑定は専門的で正しいから、石川は犯人だ」としてきたのは、裁判所ではありませんか。裁判所は、自ら主張してきた根拠を、自ら放棄せざるをえないところまで追い込まれているのです。しかし「それでも石川は犯人だから犯人だ」と結論づけているのです。
 

(3)石川さんの筆記能力についても、「書けない」から「書けた」へと居直る

@警察は取り調べの中で、石川さんが脅迫状のような文章を書けないことは分かっていました。そこで、「自宅にあった妹のマンガ雑誌『りぼん』を見て、ふりがな付きの漢字をひろい出しながら作成した」という「自白」を誘導します。
 判決でも、次のように言っています。

  【確定判決(寺尾判決)】
   「たしかに、被告人は教育程度が低く、図面に記載した説明文を見ても誤りが多いうえ漢字も余り知らない
   ことがうかがえる」「被告人は、『りぼん』から当時知らない漢字を振り仮名を頼りに拾い出して練習したうえ
   脅迫状を作成したと認められる」「被告人の当時の表記能力、文章構成能力をもってしても、『りぼん』その
   他の補助手段を借りれば…作成が困難であるとは認められない」


 このように確定判決では、石川さんが文字を書けなかったことを認め、脅迫状を作成できたのは『りぼん』があったからだ」としているのです。

    ※石川さんの小学校への通学状況などは、「狭山事件と部落差別」の項を参照して下さい。

Aところが上告審段階で、妹の級友の供述調書が証拠開示され、級友が『りぼん』を貸して石川さん宅にあったのは事件の前年の4〜5日間だけで、事件当時、石川さん宅には雑誌『りぼん』はなかったことが明らかになります。事実、3度の家宅捜索でも『りぼん』は見つかりませんでした。

 しかも、この級友の供述調書は事件当時に作られたもので、警察や検察は石川さん宅に『りぼん』がないことを知っていて石川さんにこのような「自白」をさせ、この供述調書をずっと隠してきたのです。悪質な「自白」のねつ造でした。

 確定判決の、文字の書けなかった石川さんでも『りぼん』があったから脅迫状を作れた、という前提が崩れてしまったのです。この時点で、常識的には、「石川さんは脅迫状を作成できなかった」として、無罪となるのが当然です。
 ところが判決は、これらの級友は妹に『りぼん』は貸さなかったかも知れないが、妹がだれか「別の相手から借りるなどしてして本件のころその手もとに置いていたことがなっかたという点まで裏付けるもの」ではないというへ理屈で、『りぼん』は石川さん宅にあったことにしてしまうのです。(第1次再審棄却決定)

 『りぼん』が石川さん宅にあったことを証明するのが、警察や検察の職責のはずです。これでは逆に「なかったことを証明せよ」「その証明がないから、あったことにする」ということです。本当にデタラメな、悪魔の論法です。

B『りぼん』があったことを明確に打ち出せなくなった裁判所は、これ以降の判決(棄却決定)では、「石川さんは『りぼん』があったから脅迫状を書けた」という確定判決の基本的な認識を何の証拠もなくひっくり返し、「そもそも石川さんは文字が書けた」ということにしていくのです。

  【第2次再審・特別抗告棄却決定】
   「申立人は…社会的体験、生活上の必要と知的興味、関心等から、不十分ながらも漢字の読み書きなど
   を独習し、ある程度の国語的知識を集積していたことがうかがわれる」
   「本件当時の申立人の国語能力が小学校低学年程度の低位の水準に合ったなどとはとうてい認められな
   い」
                                            (最高裁 2005年3月16日)

 筆跡の違い、石川さんの国語能力のいずれにおいても、このように棄却決定はデタラメであり、そのこと自体が石川さんの無実を証明しています。

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 3,殺害方法は「自白」と矛盾する絞殺である


@殺人事件において、犯人がどのように被害者を殺したのか、という「殺害方法」は核心的な問題です。過去の殺人事件をめぐるえん罪事件でも、殺害方法をめぐる「自白」のでっち上げが明らかとなることによって、再審が開始され無罪判決がかちとれた事件がほとんどです。
 殺したことは認めておきながら、殺害方法だけはウソをつく人はまずいません。えん罪では、やっていない人が「自白」をするのですから、どうしても捜査官の誘導にそいながらの「自白」となり、事実との間で矛盾が生じるのです。殺害方法の「自白」が事実と食い違うことが明らかになったーそれだけで再審が開始されて、審理がやり直されるのは当然です。

A狭山事件では、殺害方法をめぐって、「手などでのどを押さえつけて窒息させた扼殺(やくさつ)」か、それとも「幅広い布などで絞めた絞殺(こうさつ)」かが、一貫した対立点となってきました。


         

                  扼殺(やくさつ)                 絞殺(こうさつ)


B事件当時、死体を解剖した五十嵐鑑定では、殺害方法は、

 「頸部扼圧の結果にして、索状物の絞頸の結果ではない」
   (※のどを押さえつけた結果で、布やヒモでのどを絞めた結果ではない)」

 「加害者の上肢あるいは下肢による頸部扼圧と鑑定する」
   (※加害者の手、腕あるいは足によって、のどを圧迫したと鑑定する)

 と、殺害方法は「扼殺」として、はっきりと「絞殺」を否定しています。

C捜査官は、この五十嵐鑑定をふまえて、石川さんに「扼殺」の自白を強要していきます。死体の状況などまったく知らない石川さんの自白は、その誘導に沿って、「右手の親指と他の指を広げてのどを押さえつけた」(扼殺)ということになっています。
 これに対して弁護団は、第2審で上田鑑定などの法医学者の鑑定書を提出し、「殺害方法は絞殺であり、自白とはまったく矛盾する」ということを証明していきました。
 しかし確定判決では次のように、弁護側の主張をしりぞけて、「殺害方法は絞殺である」と認定し、明確に「絞殺」を否定したのです。

  【確定判決】
   「扼頸の具体的方法についてまではこれを確定することができない。しかしながら、被害者の死因が扼頸(や
   っけい=扼殺)による窒息であることは疑いがない

Dこれに対して、上告審、第1次再審、第2次再審を通じて、弁護団は、五十嵐鑑定や確定判決の認定はまちがいであることを証明する法医学者の鑑定書を数多く提出してきました。
 特に、再審段階で出された上山鑑定では、被害者の首に「蒼白帯X]と呼ばれる、柔らかい布状のもので圧迫された跡があることを明らかにしました。被害者の首にある傷や変色などから、「殺害方法はマフラーのような柔らかいもので首を絞めた絞殺以外にない」という医学鑑定は、裁判所を追いつめてきました。






E裁判所は、次々とつきつけられる法医学鑑定書によって、これまでの説明を維持できなくなり、棄却決定を重ねるごとに確定判決の認定をなし崩し的に変えてしまいます

  【第1次再審・特別抗告棄却決定】
   「絞頸の可能性を全面的に否定するには問題がある…殺害の方法について
絞扼頸併用の可能性」があ
   る。

   (※「絞殺ではなく扼殺」と断定した確定判決を投げ捨て、最初の頃の「自白」でタオルが一度だけ出てきたことを引
    用しながら、右手の押しつけによる扼殺と、タオルによる絞殺の併用説をもちだした)

  【第2次再審・特別抗告棄却決定】
   「ブレザーとブラウスの襟を一緒につかんで頸部を強く圧迫するとか、ブレザーの襟をつかんで圧迫した際にそ
   の下のブラウスの襟部分を巻き込んでしまう」などで、「死因は
頸部圧迫に加え、着衣の一部による頸部絞
   圧作用も加わった可能性がある」
   (※タオルを使ったと言えなくなると、今度はブレザーやブラウスの襟で絞めた絞殺との、新しい併用説をもちだした)


 このように裁判所は、もはや「扼殺」とは断定できなくなり、しどろもどろで「扼殺」なのか「絞殺」なのか意味不明のような決定や、両方の「併用説」を持ち出しているのです。
 しかしこのような新説(珍説)は、石川さんの「自白」のどこにも出てこないし、確定判決の殺害方法の認定を何の証拠もなく勝手に変えてしまうことです。
 少なくとも、殺人事件で殺害方法が変更されるなら、再審を開始して審理をやり直さなくてはならないのが当然です。


Fでは裁判所の棄却決定は、石川さんの自白(扼殺)と、事実(絞殺)との矛盾を認めざるをえなくなって、それをどのようにとりつくろっているのでしょうか。なんと、その食い違いをすべて石川さんの責任にしているのです。
 
  【第1次再審・特別抗告棄却決定】
   「元来、犯人の供述は、犯行が長時間に及んだり、激情を伴っている場合などには、自己の行為でありなが
   ら、その一部の行為が欠落したり混乱したりすることもまた少なくない。
記憶の混乱や一部欠落によって、そ
   の絞頸、扼頸の一部を断片的に供述したともいい得る」ので、「鑑定と申立人の自白との間に重大な齟齬
   (そご)があるとはいえない」


 普通の裁判なら、「自白」のような殺害方法では被害者の首の傷はできないことが明らかになったら、その「自白」は信用できない、どうしてウソの「自白」が生み出されたのか、捜査官の誘導がなかったのか、という検討をするのではないでしょうか。だからこそ、殺害方法で「自白」との重大な矛盾が明らかになった事件は、再審が開かれているのです。

 しかし狭山事件では、あくまで石川さんが犯人だとの前提に立って、矛盾は石川さんが「混乱したり、すべてについて自供しなかったから生じたのだ」と、すべて石川さん責任にしてしまっているのです。そして次々と新たな珍説を持ち出すことによって、自ら確定判決との矛盾をますます大きくしているのです。

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 4,手拭いをめぐる警察の証拠ねつ造


@被害者の中田善枝さんの死体は、手拭いで目隠しされた状態で発見されました。
 この手拭いは、市内の米屋が、得意先へ年賀用(1963年)に165本配布したもので、警察は手拭いの追跡調査を行いましたが、結局7本の行方が分かりませんでした。この内の1本が犯行に使われたことになります。


                       (善枝さんが目隠しされていた手拭い)



A石川一雄さん宅にも、1本が配布されていましたが、5月11日に警察に提出されています。本来なら、この時点で石川一雄さん宅は配布された手拭いがあったのですから、犯行には関係していないとして捜査対象からはずれるのが当然です。
 しかし警察は、捜査の対象を次第に被差別部落に向けていき、「アリバイがはっきりしない」などの理由で石川一雄さんに的をしぼっていきます。しかし石川さんを犯人とするには、石川さん宅に犯行に使われた手拭いがなければなりません。そこで警察は、恐るべき証拠ねつ造に手を染めていきます。

B検察は、次のようなストーリーを作り上げました。
「石川一雄の姉婿の石川仙吉宅には2本配られたが1本しか回収されていない。また隣のMS宅には1本配られたが回収されていない。石川一雄は、テレビで犯行に米屋の手拭いが使われたとのニュースがを見て、自分の家に配布された手拭いを犯行に使ってしまったので、石川仙吉宅か、隣のMS宅から手拭いを都合してきた」

  このように石川さんが手拭いを工作したというのは、もちろん何の証拠もない憶測です。隣のMSさんは「自分は配布を受けていない」、義兄の石川仙吉さんは「自分は1本しかもらっていない」と、ずっと主張していました。しかし検察は公判でもこのようなストーリーを主張しました。そして確定判決ではこのストーリーをそのまま受け入れて、手拭いを「自白を離れた状況証拠の一つ」としたのです。

Cこの手拭い問題に関して、証拠開示を求めるたたかいによって、2013年1月、50年間隠されてきた捜査報告書が証拠開示されました。それによって、次のような事実が明らかになりました。

 ○ 5月6日午後0時20分に、すでに警察2名が石川一雄さん宅を訪れ、のし袋に入った手拭があるのを確認していた
   (後の11日に警察が回収)。また同日、警察は義兄の石川仙吉さん宅でも手拭い1本を確認している。

 また弁護団の調査によって、
○ TBSのニュースは、5月6日の昼のニュース(午後0時2分過ぎから50秒程度で)あったことが分かりました。

Dつまり、石川さんは昼のニュースを見て、わずか17分間で手拭いを都合してきたことになります。そんなことは不可能です。検察と確定判決のストーリーは成り立たないことが明らかになりました。。

E隣のMSさん宅は、市内の茶園に働き出ており、同居の息子も東京に働きに出ていました。では、2本配布されたという義兄の石川仙吉さん宅から1本を持ってきたのでしょうか。
 ここで50年ぶりに開示された5月5日付の捜査報告書に、衝撃的な証拠の改ざんが記されていたのです。捜査報告書の手拭い配布先一覧表には、石川仙吉さん宅への配布は「1」本と書かれており、それが別の筆記用具で「2」本と書きかえられていたのです。

           


               (「1」が「2」に書きかえられている)    (紫外線カメラ撮影で別の筆記用具と判明した)






 警察、検察、裁判所は「石川一雄が手拭いの偽装工作をして他から都合した」としてきたのですが、実は警察や検察がこのような証拠のねつ造を行い、裁判所がそれを追認してきたことが50年目に明らかになったのです。

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 5,石川さんの指紋がまったくない


@狭山事件では、犯人とされた石川一雄さんの指紋が、1つも出てきていません。石川さんは自白で、指紋がつかないように手袋などを使ったことは、はっきりと否定しています。
 もし石川さんが犯人なら、次のようなものから指紋が出てこないはずがないのです。

  ・脅迫状と封筒
  ・石田養豚場のスコップ(盗んだスコップで穴を掘り死体を埋めたとされている)
  ・被害者の自転車(これに乗って被害者宅に脅迫状を届けたとされている)
  ・万年筆(奪った万年筆で脅迫状を訂正し自宅のカモイにに隠したとされている)
  ・腕時計
  ・身分証明書
  ・教科書

A確定判決は、この点について次のように抽象的な一般論で逃げています。
  「指紋は常に検出が可能であるとはいえないから、指紋が検出されないからといって被告人は犯人でないと
  一概には言えない」

Bしかし、とくに脅迫状は「紙」というもっとも指紋がつくものです。
 事件直後の鑑定で、脅迫状からは7個の指紋が検出されており、そのうち2個は、脅迫状を発見して警察に届けた被害者の兄の指紋、もう一つはこれを受け取った派出所の警察官の指紋でした。少しでも素手で触った人の指紋ははっきりと検出されているのです。
 石川さんの自白では、「事件4日前の4月28日に、自宅で妹のノートを破りとって、手で押さえながら脅迫の文面を書き、封筒に入れ、それを持ち歩き、事件当日は取り出して訂正をし、被害者宅に届けるときも封筒を破って中を確かめて、玄関に差し込んだ」ということが、犯行の基本的なストーリーになっています。

 このような状況の下でも指紋がまったくつかないことがあるのか、という具体的な問題として検討すべきなのです。しかし判決はそのような検討は一切せずに、一般論をくり返すだけです。

C2001年5月、自白どおりにやったらどのくらいの指紋が付くのか、石川さん本人を含む3人が指紋検出実験を行いました。(第2次再審・斉藤鑑定)
 その結果、石川さんの作成した実験用の脅迫状からは127個、封筒からは94個の指紋が検出され、そのうち対象可能な指紋が18個確認されました。
 





 しかしこの新証拠に対しても、裁判所は真正面から検討しようとせず、「実験の条件設定が正確に再現できたものか明確ではない」としてしりぞけてしまいました。(東京高裁・異議申立棄却決定)


Dまた斉藤鑑定では、「脅迫状に軍手でつけられた跡がある」ことも明らかになりました。これは真犯人が軍手を使って指紋が付かないように脅迫状を作成したことを裏付けるもので、石川さんの自白とはまったく違うものです。



【 脅迫状・封筒に付けられた縞(しま)模様やツブツブの軍手の跡 (斉藤第2鑑定) 】



 これに対しても裁判所は、「縞(しま)模様らしいものが薄ぼんやりと印象されているかに見えるが、これを犯人の用いた軍手様の手袋の汚れが付着したものであるとする同鑑定書の指摘は、一つの推測の域を出ないものというほかはない」として、しりぞけています。

Eしかし裁判所は、「これで指紋がないのはおかしい」という当然の主張に追いつめられており、次第に反動的な居直りを強めています。
 第2次再審の特別抗告棄却決定(2005年3月 最高裁)では、「申立人(石川さん)の自白には出ていないからといって、申立人が指紋付着を防ぐ処置を講じていなかったとも決めつけるわけにはいかない」と言い出しています。

 何と、石川さんは手袋などで指紋を付かないような工作していたかも知れない、ということです。これこそ何の証拠もなく、これまでの「自白」によるストーリーをひっくりかえす裁判所による憶測です。それは最初から石川さんを犯人と決めつけた上で、その矛盾を石川さんの責任(ウソつき、記憶が欠落、などなど)にしようとするものであり、絶対に許せません。


F再審開始を決めた免田事件の決定(福岡高裁)では、「自白によると、請求人は、雨戸より侵入して、タンスの引き出しを開けて金品を物色し、その場にあった刺身包丁を握って刺したというのであるが、全記録を精査しても、請求人において、手袋を使用したり指紋を残さないように配慮した形跡は全くうかがわれないにも関わらず、請求人の指紋は検出することはできなかった」として、自白に沿って具体的に検討し、指紋がないことを自白の信用性を否定する重要な問題としました。

 この決定に対して、検察は抗告して、「指紋が検出されないことは数多くある」と主張しましたが、再審無罪判決(熊本地裁八代支部)は、「雨戸はともかくとしてタンスや刺身包丁の柄などは、もっとも指紋が残されやすい場所であることも事実であり、やはり疑問点の一つであると考えるのが相当である」としたのです。
 
 鹿児島夫婦殺し事件では、最高裁が、「自白が真実であるとすれば、犯行現場に被告人の指紋が一つも遺留されないというようなことは常識上理解しがたいこと」として、有罪判決を否定しました。

 これが「常識的で当然の判断」です。しかしなぜ狭山事件ではこのようなまともな判断がされないのでしょうか。

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 6,現場の足跡は、石川さんのものではない


@5月2日の夜中に、脅迫状で指定された「佐野屋」わきの畑に犯人が身代金を取りに現れ、それを警察が取り逃がしたとされています。
 翌日の3日、現場検証で、犯人のものとされる地下タビの足跡を写真撮影し(この写真は今も出されていない)、石膏を流し込んで型を取ったとしています。翌4日には、埼玉県警本部鑑識課・関根報告書で、この現場足跡は「10文ないし10文半の職人タビ」とされました。

 5月23日、石川一雄さんを逮捕した警察は、一雄さんがいつも長靴を履いており地下タビは持っていなかったので、兄の六造さんの地下タビ5足を押収します。しかしこれらはいずれも「9文7分」で、1.6pも大きさが違うものでした。
 ところが、6月18日に作成された警察の関根・岸田鑑定書では、「現場足跡は9文7分」と変更され、石川さん宅で押収された地下タビによって印象されたもの、としてしまいます。
 


【石川さん宅から押収された地下タビと、現場足跡(石膏で取ったもの)】




A弁護団は、「現場足跡は10文3分の地下タビによるものであり、石川さん宅の9文7分のものではない」ことを証明しました。
 これに対して確定判決は、弁護団が測定した定規は、「セルロイドかプラスチック製のものと思われる。しかし、かかる定規の目盛りが正確に刻まれていないことは往々にしてある」。さらに現場足跡と押収地下タビの測定写真には「それぞれ異なった定規が写されているのであって、両者の目盛りが一致してるかどうかも確認できない」として、両者は大きさも同じで、石川さん宅の地下タビで付けられた足跡だとしました。
 そして地下タビの一致は、「自白を離れた、有力な客観的証拠」とされるのです。

 プラスチックの定規は、20数センチのものを測る場合に1.6センチくらいの差は「往々にして出る」ものだ、二つのプラスチック定規を並べれば目盛りは1.6センチくらい違っているものだ、だからいいんだ、足跡は石川さん宅の地下タビのものだ、というのです。何というふざけた判決でしょうか。


B弁護団はこの確定判決を批判し、井野鑑定などで足跡の大きさの違いを科学的に証明していきました。
 これに対して、裁判所はとうとう「足跡は一致する」とは言えなくなり、現場足跡の方が大きいことを認めざるを得なくなってしまいました。そして次のような弁解を並べているのです。
 第2次再審棄却決定(東京高裁)
  「移行ずれ等で、地下タビの本来の底面よりも大きく印象された」

 しかし裁判所が有罪の根拠としたよりどころとしてきた警察の関根・岸田鑑定は、「現場足跡は、押収した地下タビと全く同じ大きさで、足長は左右とも24.5センチ」としているのです。
 もし棄却決定がいうように、移行する時のズレ等で本来の底面よりも大きく印象されたというなら、現場足跡は石川さん宅から押収された地下タビよりもっと小さな地下タビでできたことになってしまいます。決定は墓穴を掘り、自らの拠りどころである関根・岸田鑑定を否定するという、大きな矛盾をかかえこんだのです。


Cいま裁判所が足跡問題で逃げ込んでいるのは、「押収地下タビと現場足跡には、同じようなところに同じような傷(外側のゴムがはがれたような損傷=破損痕)があるから、同一のものだ」という主張です。

 弁護団はこれを徹底的に批判し、損傷の部分を3次元スキャナで検証した山口・鈴木鑑定書を提出しました。これによって、裁判所が「同じ」と言っている損傷は、その深さや形状が全く違うものであることを科学的に証明したのです。



(現場足跡と対象足跡を重ね合わせた断面図。「破損痕」とされる部分で高さに大きな違いがあることが分かった)



 裁判所は、これにまともに答えることができません。第2次再審棄却決定でも、山口・鈴木鑑定が3次元的に明らかにした「損傷の高さ(奥行き)が相当に違う」「現場足跡には『ひさし』のようにせり出した『張り出し形状がある』」といった新たな指摘には何も答えられず、それらには触れないまま、「類似性も十分に肯定できる」といって棄却しました。


D第3再審では、このまま裁判所が無視を決め込んで逃げることは許されません。
 そもそも、足跡の大きさが違えば、それは別のものなのです。いくら見た目が同じような傷があっても(いや、まったく同じであっても)、大きさの違う靴は別の靴に決まっているではありませんか。

 裁判所は、「大きさが完全に一致する」としてきた自らの主張が破綻したのですから、足跡を「自白を離れた有力な客観的な物証」などとした確定判決を取り消し、すみやかに再審を開始すべきです。

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